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東京高等裁判所 平成元年(行ケ)272号 判決 1991年3月07日

原告 オーツタイヤ株式会社

右代表者代表取締役 南平正弘

右訴訟代理人弁理士 安田敏雄

同 吉田昌司

同 中野収二

同弁護士 宇津呂雄章

被告 オカモト株式会社

右代表者代表取締役 岡本多計彦

右訴訟代理人弁護士 増岡章三

同 對嶋俊一

同 増岡研介

同弁理士 早川政名

主文

特許庁が昭和六三年審判第一〇一二八号事件について平成元年一〇月一二日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文同旨の判決

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決

第二請求の原因

一  特許庁の手続の経緯

被告は、名称を「自動車用タイヤの滑止具製造方法」とする特許第一二三九一六〇号発明(昭和五五年六月二〇日出願に係る昭和五五年特許願第八四三七八号の分割出願、昭和五八年一一月四日出願公告、昭和五九年一一月一三日設定登録、以下「本件発明」という。)の特許権者であるが、原告は昭和六三年六月四日被告を被請求人として本件発明の特許無効の審判を請求し、昭和六三年審判第一〇一二八号事件として審理された(以下「本件審判手続」という。)結果、平成元年一〇月一二日、「本件審判の請求は、成り立たない」との審決があり、その謄本は同年一二月七日原告に送達された。

二  本件発明の要旨

プレス型表面に斜交差状の網目形成用凹溝を穿設し、この凹溝内に、可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を張り廻らして、プレス型内で網目を形成し、次にこれをプレス成形で一体に形成してなる自動車タイヤの滑止具製造方法(別紙図面一参照)

三  審決の理由の要点

1  本件発明の要旨は、前項記載のとおりである。

2  請求人(原告)は、①甲第一号証 (本項における書証番号は審判手続の書証番号による。)昭和五八年特許出願公告第四九三六六号公報(本件発明の特許出願公告公報)、②甲第二号証 昭和四六年実用新案登録願第九七七二〇号の願書に添付された明細書及び図面のマイクロフィルムの写し(昭和四八年実用新案登録出願公開第五三〇〇三号公報は右写しの誤記である。)、③甲第三号証 昭和五二年実用新案登録願第四七六八二号の願書に添付された明細書及び図面のマイクロフィルムの写し(昭和五三年実用新案登録出願公開第一四三三〇二号公報は右写しの誤記である。)、④甲第四号証 昭和四九年特許出願公開第六八四〇一号公報、⑤甲第五号証 昭和四九年特許出願公開第六八四〇三号公報、⑥甲第六号証 昭和四八年特許出願公開第四四九〇五号公報、⑦甲第七号証 昭和四九年特許出願公開第一一二三〇四号公報、⑧甲第八号証 昭和四九年特許出願公開第一一二三〇五号公報、⑨甲第九号証の一 昭和五五年特許願第八四三七八号明細書、同号証の二 同拒絶理由通知書、同号証の三同手続補正書及び公告決定謄本、⑩甲第一〇号証 昭和三九年特許出願公告第二六二六四号公報、⑪甲第一一号証 昭和五一年特許出願公開第八九二五九号公報、⑫甲第一二号証 昭和五三年特許出願公告第二五八六八号公報を提出して

(イ) 本件発明は、甲第一号証ないし甲第八号証に記載された発明から当業者が容易に発明をすることができたものであるから特許法第二九条第二項の規定に違反してなされたものである。したがって、本件特許は同法第一二三条第一項の規定に該当し、無効とすべきであると主張し、

(ロ) また、甲第九号証の一ないし甲第一二号証を参照しながら、本件発明の明細書における特許請求の範囲には、発明の構成に欠くことができない事項が記載されていないので特許法第三六条第五項(昭和六〇年法律第四一号による改正前の規定、以下同じ)の規定の要件を満たしておらず、本件特許は同法第一二三条第一項第三号の規定に該当し、無効とすべきであると主張している。

3  そこで、請求人が主張する(イ)及び(ロ)について検討する。

(一) (イ)について

請求人の提出した甲第六号証(別紙図面二参照)には「……板状突起を千鳥状に配置したモールドに、その板状突起の長手方向に沿うと共に板状突起との中間に補強材が位置するようにゴム状弾性体を設置し成形する方法」が記載されているにすぎず、本件発明の構成要件である「……斜交差状の網目形成用凹溝内に、可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を張り廻らしてプレス型内で網目を形成する点……」に関する記載も示唆もなされていない。また他の引用例である甲第二号証(別紙図面三参照)、甲第三号証(別紙図面四参照)、甲第四号証、甲第五号証(別紙図面五参照)、甲第七号証、甲第八号証に記載のものは、いずれも「物」の発明である。そして、それらの明細書及び図面をみても該「物」を製造する方法が具体的に記載されている訳でもなく、まして本件発明の製法についての記載も示唆もない。なお、甲第二号証の明細書中に記載の「一体成型」(第二頁上段)とは、紐体を組編して形成した網状体に合成樹脂を一体成型することを意味するものであり、また甲第三号証の明細書に記載の「成型」(第四頁下段)とは、糸束(いわゆる芯材)をゴム類あるいは合成樹脂で被覆することを意味するものであって、本件発明のように、可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を斜交差状の網目に成形することを意味するものではない。本件発明の公告公報である甲第一号証(以下「本件公報」という。)に従来例として記載されている「……モールド型内に網目状に編んだ芯材を嵌めてモールド成形によりその芯材に合成ゴムを被覆せしめて成形によりその芯材に合成ゴムを被覆せしめて成形する……」技術が本件出願前公知であったか否かは不明であり、本件出願前公知技術として採用することができない。

したがって本件発明は、甲第一号証ないし甲第八号証に記載の発明から当業者が容易に発明できたものとすることはできない。本件発明は前記特定された製造法を採用することによって明細書に記載の優れた効果を有するものである。

(二) (ロ)について

請求人は、本件発明の特許請求の範囲には、「……次にこれをプレス成形で一体に形成して……」の構成だけでなく「……同時に加硫して形成する……」構成が要件であるにもかかわらず、該発明の構成が記載されていない旨主張している。

しかしながら、明細書及び図面からみて、本件発明が「自動車用タイヤの滑止具」の未加硫品の製造を意図したものでないばかりでなく、本件公報の「……プレスで押圧して一体成形し、加硫し製品にする……」(第二欄第三〇行ないし第三五行)旨の記載から判断して、本件発明の特許請求の範囲に記載の「……次にこれをプレス成形で一体に形成してなる……」方法は、「同時に加硫形成する」ことを含むものであると認める。したがって、甲第九号証の一ないし甲第一二号証の記載を参照しても、本件発明の明細書における特許請求の範囲の記載が不備であるとは認められない。

なお、請求人は本件発明は甲第一〇号証に記載の発明から当業者が容易に発明することができるものであると主張しているが、甲第一〇号証には前記(イ)で述べたような本件発明の構成要件がなく、本件発明が甲第一〇号証に記載の発明から当業者が容易に発明することができたものとは認めることができない。

4  以上のとおりであるから、請求人の主張する理由及び証拠によっては本件特許を無効とすることはできない。

四  審決の取消事由

審決は、本件審判手続が特許法第一三四条第二項の規定に違反した点において違法であり、また、本件発明は原告が本件審判手続において主張した公知技術に基づいて当業者が容易に発明できるものであり、さらに本件発明の特許請求の範囲には記載不備があり特許法第三六条第五項の規定に違反するものであるのに、それらの判断を誤った点において違法であるから、取り消されるべきである。

1  本件審判手続において、被告は、特許庁に対し平成元年一月二〇日付けにて審判事件答弁書を提出し、右書面は同月二一日特許庁に受理された。

しかるに、審決書が原告に送達された同年一二月七日の時点において右書面の副本は原告に送達されていない。そこで、原告代理人が不審に思い、特許庁審判部に電話で問い合わせたところ、同庁職員は答弁書副本の送達を懈怠していたことを認め、同年一二月二〇日にいたり、右副本を原告に送達した。

ところで、特許法第一三四条第一項は「審判長は、審判の請求があったときは、請求書の副本を被請求人に送達し、相当の期間を指定して、答弁書を提出する機会を与えなければならない。」と規定し、同条第二項は「審判長は、前項の答弁書を受理したときは、その副本を請求人に送達しなければならない。」と規定し、さらに同法第一五六条第一項は「審判長は、事件が審決をするのに熟したときは、審理の終結を当事者及び参加人に通知しなければならない。」と規定している。

右各規定は、請求人及び被請求人の両当事者に対して攻撃防禦の機会を与え、主張立証が尽くされたときに初めて審理を終結せしめることを意味する。特許法第一三四条第二項は審判長に答弁書副本を請求人に送達するかしないかの裁量を認めたものでなく、しかもその送達は審判事件が特許庁に係属しているときに行わねばならず、既に審決書を送達した後に答弁書副本を送達しても、それは単なる事実上の送付行為であって、右規定にいう送達ではない。

そうすると、審決は、特許法第一三四条第二項の規定により請求人に保障された適正手続に違反してなされたものであり、違法である。

2  審決は、「甲第六号証(昭和四八年特許出願公開第四四九〇五号公報、以下「第六引用例」という。)には「板状突起を千鳥状に配置したモールドに、その板状突起の長手方向に沿うと共に板状突起との中間に補強材が位置するようにゴム状弾性体を設置し成形する方法」が記載されているにすぎず、本件発明の構成要件である「斜交差状の網目形成用凹溝内に、可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を張り廻らして、プレス型内で網目を形成する点」に関する記載も示唆もなされていない」と認定している。

しかしながら、第六引用例記載の発明は、本件発明と同様なタイヤ滑止具を提供することを目的とするものであり(第一頁右下欄第五行ないし第九行、同欄第一三行ないし第二頁左上欄第九行)、第六引用例は、これを製造するための材料として「予めワイヤー、ナイロン等よりなる補強材(6)を中心に埋設したゴムまたはゴム状弾性体(9)」(第二頁左下欄第一二行ないし第一四行)を用い、これを第4図(別紙図面二参照)のように紐状に形成したものを示している。そして、第六引用例記載の発明は、右の紐状体を用いてタイヤ滑止具を製造するに際し、紐状の芯材(6)付の弾性体(9)をモールド(プレス型)の板状突起(8)間の凹溝に長手方向に沿って設置(凹溝に張り廻らす)し、そのままの状態でモールドを閉じ、一定圧力、一定温度の下で押圧して帯状のタイヤ滑止具を成形するものである。

第六引用例記載の発明の平行な板状突起(8)・(8)の間に形成された空間は、紐状弾性体(9)の一本宛を挿入し得るだけの深さと幅の寸法に形成されており、紐状の弾性材(9)を入れるための溝であり、その溝に紐状の弾性材(9)を押し込んでいく動作は、「張り廻らし」である。

また、第六引用例の別の実施例では、「液状のゴムまたはゴム状弾性体により成形する場合には、予め補強材を板状突起間にこれに沿い緊張しておき、液状材料、例えばウレタンゴム等を流し込むか、あるいは液状材料を流し込み速やかに緊張した補強材を板状突起間にこれに沿って設置し成形する。」(第二頁右下欄第三行ないし第八行)と記載されており、この場合、右の板状突起間は液状ゴムを流し込むためのいわば樋であるから、これが凹溝であることは明らかであって、この実施例の場合は凹溝であるが、紐状弾性体を挿入する実施例の場合は凹溝でないとする理由は存しない。

したがって、審決の第六引用例に関する前記の認定は誤りであり、第六引用例には、「プレス型表面に凹溝を穿設し、この凹溝内に、可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を張り廻らして、プレス型内で形成し、次にこれをプレス成形で一体に形成してなる自動車タイヤの滑止具製造方法」が開示されていることが明らかであり、この構成を本件発明と対比すると、①右の凹溝が第六引用例記載のものでは周方向に平行であるのに対して、本件発明では「斜交差状の網目形成用」であること、②右の張り廻らし状態が第一引用例記載のものでは周方向に平行な線条を形成するのに対して、本件発明では「網目を形成」する点のみが相違し、その余の構成は一致している。

前記相違点は、第一引用例記載のものの凹溝がプレス型の周方向に伸びる平行なものであるのに対して、本件発明の凹溝がプレス型に斜交差状に形成されていることに起因するのであって、実質的に一つの相違点にすぎない。

そして、凹溝を斜交差状に形成することは、本件出願前周知である。すなわち、甲第二号証(昭和四六年実用新案登録願第九七七二〇号の願書に添付した明細書及び図面のマイクロフィルムの写し、以下「第二引用例」という。)記載のものは、ネット状とされた筒状のタイヤ滑止具を製造するに際し、芯体にゴムを被覆した紐体を組編してもよいし、あるいはこれを一体成型してもよいとするものであり、右のように一体成型するに際しては、当然に製品の形状に合致した凹溝(キャビティー)を有するプレス型を使用することが自明である。

また、甲第三号証(昭和五二年実用新案登録願第四七六八二号の願書に添付した明細書及び図面のマイクロフィルムの写し、以下「第三引用例」という。)記載のものは、ネット状のタイヤ滑止具を製造するに際し、組編された網目状又は格子状の組編物を準備し、この組編物の糸束にゴム類あるいは合成樹脂類を成型により被覆せしめるものであるから、右の成型を可能とするためには、組編物をゴム等とともに金型に挿入した後、これをプレスしつつ加硫せしめること、右金型はネット状のタイヤ滑止具に合致した形状の凹溝(キャビティー)を備えたものであることが自明である。

さらに、甲第四号証(昭和四九年特許出願公開第六八四〇一号公報、以下「第四引用例」という。)、甲第五号証(昭和四九年特許出願公開第六八四〇三号公報、以下「第五引用例」という。)、甲第七号証(昭和四九年特許出願公開第一一二三〇四号公報、以下「第七引用例」という。)、甲第八号証(昭和四九年特許出願公開第一一二三〇五号公報、以下「第八引用例」という。)記載のものは、いずれもタイヤ滑止具の主体部をゴム又はゴム状弾性体によりネット状に形成し、各ネット部分にコード等の補強芯材を埋設せしめたものである。ところで、一般的にゴム製品を製造するに際してプレス型(モールド)を使用することは本件出願前極めて周知のことであり、しかも、プレス型は上型と下型により開閉自在とされ、該プレス型の凹溝(キャビティー)を形成しており、該プレス型の凹溝内で素材をプレスし加硫成形により一体の製品を成形することも公知のことである(第六引用例の第二頁左下欄第一四行ないし第一九行)。また、甲第一〇号証(昭和三九年特許出願公告第二六二六四号公報、以下「第一〇引用例」という。)、甲第一一号証(昭和五一年特許出願公開第八九二五九号公報、以下「第一一引用例」という。)、甲第一二号証(昭和五三年特許出願公告第二五八六八号公報、以下「第一二引用例」という。)に示されているように、ゴムの成形に際し製品の形状に合致するキャビティーを有するプレス型(モールド)を用いることは本件出願前周知である。

そうすると、第四引用例、第五引用例並びに第七引用例及び第八引用例記載のものにおいても、プレス加硫成形のためのプレス型(モールド)は、そのネット状のタイヤ滑止具の形状に合致するように「斜交差状の凹溝(成形空間であるキャビティー)」を形成していることが自明である。

したがって、本件発明の「プレス型表面の凹溝内に、可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を張り廻らして、次にこれをプレス成形で一体に形成」することは、第六引用例記載の発明と何ら異ならないものであり、このような製造方法を用いつつ、タイヤ滑止具の形状を単に第二ないし第五引用例並びに第七、第八引用例に示されるようなネット状とするためには、その凹溝をネット状のタイヤ滑止具を成形するため用いられている斜交差状のものに置換することは極めて当然のことであり、この置換により斜交差状とされた凹溝プレス型を用いて第六引用例記載の製造方法を行えば、本件発明の製造方法に至ることは明らかであるから、本件発明は当業者が容易に発明し得たものであって、進歩性を欠如している。

しかるに、審決は、この点の判断を誤り、本件発明が進歩性を有するとしたものであって、違法である。

3  本件発明の特許請求の範囲には、「次にこれをプレス成形で一体に形成してなる自動車タイヤ滑止具製造方法」と記載しているが、この記載だけでは、タイヤ滑止具の製造は完了しない。

右の記載は、「可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材」をプレス成形、すなわち圧力をかけることにより成形する趣旨と思われるが、プレスにより可塑性被覆材を一定の形状に成形しただけではタイヤ滑止具として無価値なものであり、右プレス成形の工程の後、「加硫し製品にする工程」が必要であるから、「加硫し製品にする工程」の記載を欠如する本件発明の特許請求の範囲は、発明に必須の技術的構成が記載されておらず、特許法第三六条第五項の規定に違反していることが明らかである。

しかるに、審決は、本件発明の特許請求の範囲に右加硫の工程が記載されていないのに「同時に加硫形成する」ことを含むと誤って認定した結果、本件特許は特許法第三六条第五項の規定に違反しないと判断したものであるから、違法である。

第三請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三の事実は認める。

二  同四の審決の取消事由は争う。

審決の判断は正当であって、審決に原告主張の違法はない。

1  本件審判手続において、被請求人(被告)提出に係る答弁書副本が原告に対し審決謄本送達前に送達されなかったことは不知であるが、仮にそのような事実があったとしても、審決は適法であり、少なくとも取り消されるべき程度の違法があったとはいえない。

すなわち、特許法第一三四条第一項と第二項とを比較すれば明らかのように、特許法は、被請求人に対しては請求書の副本を送達後「相当の期間を指定して、答弁書を提出する機会を与えなければならない。」(第一項)と規定する一方、請求人に対しては「審判長は、前項の答弁書を受理したときは、その副本を請求人に送達しなければならない。」(第二項)と規定しているだけであって、審決をするに当り、請求人に対して再反論の機会を与えることを要件としているわけではなく、その点は審判長の裁量に委ねられている。特に、本件の答弁書は、請求人(原告)の提出した審判請求書の請求の理由に逐一反論したものであって、原告にとって不意打ちとなるような新しい論点について論じたものではないから、このことのみをもってしても、答弁書副本の送達が遅れたことが明白に不当なものといえない。しかも、原告は、審理終結通知を受けたことにより答弁書提出の有無を確認する機会があったのであるから、その意味でも原告にとって不当なものではない。

したがって、仮に答弁書副本の送達が遅れたとしても、原告主張のような適正手続違反の問題を生じる余地はなく、せいぜい形式的かつ軽微な瑕疵があったというにすぎず、その瑕疵は審決の結論に何ら影響を及ぼすものではない。

2  第六引用例には、「斜交差状の網目形成用凹溝内に、可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を張り廻らして、プレス型内で網目を形成」する点に関する記載も示唆も存しないし、本件発明は第六引用例記載の発明から当業者が容易に推考できるものではない。

すなわち、第六引用例は、タイヤの装着時には網目を形成する(ただし補強材自体は網目状になっていない。)ものの、製造時にはむしろ網目を形成せず、補強材を平行かつ直線状にモールド内に配置するだけでよい点を作用効果上の利点とすることを特徴とする製品及びその製造方法の発明であって、網目形成用凹溝内に紐状芯材を張り廻らして、プレス型内で網目を形成することにより紐状芯材自体が網目を形成することを特徴とする本件発明とは全く逆の着想に基づくものであり、本件発明を推考する契機となり得るものではない。

第六引用例記載の発明が本件発明とは逆に網目を形成しないことを特徴とすることは次の事項から明らかである。

① 特許請求の範囲中には、製品に「スリット」を千鳥状に配置されると記載されており、「スリット」とは、隙間、切り込み等を意味するから、これが千鳥状に配置されても網目を形成するとはいえない。

② 発明の詳細な説明中には、「このようなタイヤ滑り止め(1)をタイヤ(4)に装着する際には、タイヤ(4)にタイヤ滑り止め(1)を囲ませて設置し、次いでタイヤ滑り止め(1)の両側に位置したスリット(2)にワイヤー、ナイロン等よりなる締め具(5)を通し、これを絞ることにより、タイヤ滑り止めを幅方向に引張る。この引張りによりスリット(2)が開き、これと同時にタイヤ滑り止め(1)を円周方向に収縮させ、第3図に示すように網目を形成する。」(第二頁右上欄第一七行ないし左下欄第五行)と記載されており、この記載は、装着以前には網目が形成されていないことを前提とするものである。

第六引用例記載の発明が補強材を平行かつ直線状にモールド内に配置するだけでよい点を作用効果上の利点とすることは、次の事項から明らかである。

① 特許請求の範囲中には、「スリットとスリットとの中間にこれと互いに平行なワイヤー等の補強材を埋設したことを特徴する」と記載されており、スリットは千鳥状に、すなわちタイヤの円周方向あるいはそれに直角な方向に配置されるから、補強材同志も互いに平行に埋設されることは明らかである。

② 発明の詳細な説明中には、「本発明によるタイヤ滑み止めの補強材は直線状にモールド内に配置するだけで良いので、製造が容易であり、安価に製造することができる。」(第三頁左上欄第一一行ないし第一三行)と記載されており、この記載は、むしろ補強材を張り廻らせないでよい点が利点であることを意味している。

このように、第六引用例には、本件発明の特許請求の範囲中の「斜交差状の網目形成用凹溝内に、可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を張り廻らして、プレス型内で網目を形成」する点に関する記載も示唆も存しない。第六引用例記載のものは、一枚のゴム又はゴム状弾性体に文字どおり切り込みを入れる発明にすぎないのであって、この切り込みを形成するためのモールドの板状突起は示されているものの、凹溝は示されていない。

また、原告は、凹溝を斜交差状に形成することは本件出願前周知であるとして、第二ないし第五、第七及び第八引用例を引用しているが、これらの引用例は物の発明に関するものであり、製造方法については全く記載されていないか、抽象的かつ漠然と示されているにすぎないから、到底本件発明の構成要件を示しているとはいえず、当業者がこれらの引用例から本件発明を容易に推考できたともいえない。

まず、原告は、第二引用例記載のものは、ネット状とされた筒状のタイヤ滑止具を製造するに際し、芯体にゴムを被覆した紐体を組編してもよいし、あるいはこれを一体成型してもよいとするものである旨主張するが、紐体を組編せず、その代わりに合成樹脂等により一体成型するとはどのような方法を意味しているか、明らかでない。

第三引用例についても、原告は、組編された網目状又は格子状の組編物を準備し、この組編物の糸束にゴム類あるいは合成樹脂類を成型により被覆せしめる方法が示され、ここにいう成型とは金型による成形であると主張するが、第三引用例の記載事項をこのような解する根拠は不明である。

さらに、第四、第五引用例及び第七、第八引用例についての原告の主張は、補強材の埋設されたゴム又はゴム状弾性体からなるタイヤ滑止具の発明が示されていさえすれば、これを製造する方法も示されているというに等しい。

したがって、第二ないし第五、第七及び第八引用例は、本件発明の構成要件を何ら示唆するものではなく、当業者においてこれらの引用例と第六引用例記載のものを組み合わせても、本件発明を容易に推考できるものではない。

3  本件発明の特許請求の範囲中の「可塑性被覆材」は、加硫工程を必要とするゴムに限られるものでないから、合成ゴム等を加硫する方法はあくまでも一実施例にすぎない。そして、ゴム業界において、プレスといえばプレス加硫を指し、本件発明の特許請求の範囲にいう「プレス成形で一体に形成」する方法がプレス加硫、すなわちプレス成形と同時に加硫する方法を含むものであることは、当業者にとって自明の事項である。

審決認定のとおり、本件発明は、その明細書及び図面からみて、自動車用タイヤの滑止具の未加硫品の製造を意図したものでないことは明らかであり、また、その実施例には「プレスで押圧して一体成形し、加硫し製品にする」旨記載されているのであるから、「プレスで一件に形成して」との記載がプレス成形と同時に加硫形成する方法を含むと理解されることは明白である。

したがって、本件発明の特許請求の範囲の記載に不備はないとした審決の判断に誤りはない。

第四証拠関係《省略》

理由

一  請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、同二(本件発明の要旨)、同三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、原告主張の審決の取消事由について判断する。

1  原告は、審決は、特許法第一三四条第二項の規定により請求人に保障された適正手続に違反してなされたものであり、違法である旨主張する。

《証拠省略》によれば、本件審判手続において、被告は特許庁に対し平成元年一月二〇日付けにて審判事件答弁書を提出し、右書面は同月二一日特許庁に受理されたこと、右書面の副本が原告に発送されたのは、同年一二月一九日であることが認められ、審決書が原告に送達された日は同年一二月七日であることは、当事者間に争いがない。

右の事実によれば、本件審判手続において、被請求人(被告)が提出した答弁書が請求人(原告)に送達されたのは、特許庁審判官が本件審判事件について審決をした後であることが明らかである。

ところで、特許法第一三四条第一項は「審判長は、審判の請求があったときは、請求書の副本を被請求人に送達し、相当の期間を指定して、答弁書を提出する機会を与えなければならない。」と規定し、同条第二項は「審判長は、前項の答弁書を受理したときは、その副本を請求人に送達しなければならない。」と規定しており、右規定が審判事件が係属した場合に審判長がなすべき手続を定めた規定であることにかんがみれば、審判請求の副本を被請求人に送達することはもとより、被請求人から答弁書が提出されたときは、その副本を請求人に送達することも、審理終結前に審判長が必ず覆行すべき手続であり、送達の要否をその裁量に委ねる趣旨と理解することはできない。

しかるに、本件審判手続において、被請求人(被告)が提出した答弁書が請求人(原告)に送達されたのは、特許庁審判官が本件審判事件について審決をした後であること前述のとおりであるから、特許法第一三四条第二項の規定に違反するものであり、審決にはその審判手続に瑕疵があるというべきである。

しかしながら、審決に審判手続上の瑕疵が存する場合であっても、その瑕疵が審決の結論に影響を及ぼさないことが明らかであると認められる特別の事情があるときは、その瑕疵は審決を取り消すべき原因にならないものというべきである。

そして、特許法第一三四条の規定の趣旨を特許無効審判請求事件に即して検討すると、同条第一項は、特許無効審判請求が認容されるときは、被請求人(特許権者)は、その有する特許権を失うという重大な結果を招来することにかんがみ、審判請求書の副本を被請求人に送達することによって審判請求に対し被請求人が防禦権を行使する機会を保障する趣旨であることが明らかであり、これに対し同条第二項は、同条第一項の規定を受けて、被請求人から答弁書が提出されたときは、その副本を請求人に送達し、審判請求に対する被請求人の主張を請求人に知らせる趣旨であると理解され、必ずしも請求人に再反論、再立証の機会を保障する趣旨とはいえない。けだし、請求人の主張は既に特許無効事由として述べられ、その主張を証明するための立証もなされており、審判長は、この主張・立証と被請求人の答弁とによって結論を出すのに熟したと判断すれば、直ちに審理を終結することができるのであって、請求人の再反論・再立証を待たなければならないものではない。

これを本件についてみるに、《証拠省略》によれば、本件審判手続において、原告は昭和六三年一〇月一三日付けの「手続補正書」と題する書面により無効審判請求の理由を述べ、その主張を証明するための証拠の提出をすませていること、これに対し、被告の提出した平成元年一月二〇日付け「審判事件答弁書」と題する書面は原告主張の本件発明の特許無効の理由について逐一反論したものであって、これによって双方の主張・争点は明確となったこと、しかる後審判長は事件が審決をするに熟したとして同年九月一二日付けで審理終結を当事者に通知したことが認められ、右認定事実によれば、本件審判手続において、審判長が原告に答弁書副本を送達することなく、審理を終結し、審決したことは、審決の結論に影響を及ぼさらないものというべく、この瑕疵によって審決に取消原因があるということはできない。

2  《証拠省略》によれば、本件明細書には、本件発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果について、次のとおり記載されていることが認められる。

本件発明は、騒音防止、道路面の損傷防止を目的とした非金属製(例えば合成ゴム製)の自動車タイヤの滑止具の製造方法に関する(本件公報第一欄第一九行ないし第二一行)。

従来用いられているこの種のタイヤ滑止具である亀甲型又は斜交差状の網目型は、合成ゴム被覆材の芯材をあらかじめ網目状に編み、これをあらかじめ溶剤に溶解した被覆材の含侵浴へ芯材に所定量の合成ゴムが付着するように何度も浸漬せしめて成形し熱蒸気オートクレープ中で加硫するか、モールド型内に網目状に編んだ芯材を嵌めてモールド成形によりその芯材に合成ゴムを被覆せしめて成形したが、前者にあっては、浸漬槽内に何度も浸漬する必要があるため手数がかかり作業性が悪く、所定の形態に合成ゴムが付着しない欠陥があり、後者にあっては、芯材を網目に編む際、その全体が均一な大きさの網目に形成できないためモールド型に各網目を嵌め込むことが困難であり、その作業が能率的に行えない欠陥があり、さらに網目状芯材をヒートカットにより裁断するために時間を要し能率が悪いという欠陥があった(同第一欄第二二行ないし第二欄第一一行)。

本件発明は、前記従来技術における自動車タイヤ滑止具製造方法に係る欠陥を改良することを技術的課願(目的)とし(同第二欄第一二行ないし第一四行)、本件発明の要旨(特許請求の範囲)記載の構成(同第一欄第一三行ないし第一七行)を採用したものであり、この構成により「従来の如くあらかじめ芯材を網目状に編む必要がないし、又網目が正確にできないため型に嵌め込み難いなどの欠陥をも除去し得る。加えてプレス成形で所定の形状に一度で成形できる。また、本発明によると手作業で被覆材を金型に充填する方法に較べて、機械化されるため被覆量が一定となり、且つ生産性が頗る良くなる。従って、従来方法に比べ、製造が極めて簡単であるし、その作業性が頗る良く低原価で製造できる。しかも品質一定の自動車用タイヤの滑止具を提供し得る。」(第三欄第一六行ないし第四欄第八行)という作用効果を奏する。

3  原告は、本件発明の「プレス型表面の凹溝内に、可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を張り廻らして、次にこれをプレス成形で一体に形成」することは、第六引用例記載の発明と何ら異ならないものであり、このような製造方法を用いつつ、タイヤ滑止具の形状を第二ないし第五引用例並びに第七、第八引用例に示されるようなネット状とするために、その凹溝をネット状のタイヤ滑止具を成形するため用いられている斜交差状のものに置換することは、当業者が容易に発明し得たものであるから、本件発明は進歩性を欠如しているのに、審決は、この点の判断を誤ったものであって、違法である旨主張する。

(一)  《証拠省略》によれば、第六引用例は、名称を「ゴムまたはゴム状弾性体によりなるタイヤ滑り止めおよびその製造方法」とする発明の特許公開公報であって、右発明は、従来、積雪、泥ねい等のスリップし易い道路を普通タイヤで走行する場合に使用される梯子型に形成した金属製タイヤチェーンは積雪等のない舗装道路を走行するとき、路面を損傷するばかりでなく、騒音が激しく、またチェーンが摩耗し易い欠点があり、この欠点を改良するためにチェーンをゴムで被覆したものは振動が大きく、ブレーキによる横滑りの問題があり、合成樹脂製環状帯よりなるものは、強度に問題があったとの知見に基づき、積雪等のない舗装道路を走行する際でも路面を損傷することなく、また積雪等のある道路上を走行する際も優れた走行性能を有し、強度の点でも満足し得るゴム又はゴム状弾性体よりなるタイヤ滑り止め及びその製造方法を提供することを技術的課題(目的)とするもの(第一頁右下欄第一〇行ないし第二頁左上欄第九行)であって、第六引用例には、その方法について、「第1図に示すタイヤ滑り止め(1)は第4図に示すようなモールドによって成形される。即ち、長手方向の両端を滑らかな曲線で形成した板状突起(8)を千鳥状に配置した一定長、一定幅のモールド(7)に前記板状突起(8)の長手方向に沿って予めワイヤー、ナイロン等よりなる補強材(6)を中心に埋設したゴムまたはゴム状弾性体(9)を設置する。次に、前記下部モールド(7)と同一形状の上部モールド若しくは平板状の上部モールド(いずれも図示していない)を前記下部モールド(7)上に設置し、一定圧力、一定温度の下で押圧して帯状のタイヤ滑り止めを成形する。」(第二頁左下欄第八行ないし第一九行)と記載され、その方法が第1図ないし第4図(別紙図面二参照)に図示されており、さらに、その作用効果について、「本発明によるタイヤ滑り止めの補強材は直線状にモールド内に配置するだけで良いので、製造方法が容易であり、安価に製造することができる。」(第三頁左上欄第一一行ないし第一三行)と記載されていることが認められる。

右記載事項によれば、第六引用例記載の発明は、従来のタイヤ滑止具である金属性タイヤチェーンにおける舗装道路面損傷、騒音及びそれ自体の摩耗、破壊等の問題点を解消することを技術的課題(目的)とし、板状突起を千鳥状に配置したモールド内に前記板状突起の長手方向に沿ってあらかじめ補強材を中心に埋設したゴム又はゴム状弾性体を設置し、プレス成形により所期の目的を達成し得るタイヤ滑止具を製造するものであり、右方法によりタイヤ滑止具の補強材を直線状にモールド内に配置するだけでよいので、製造方法が容易であり、安価に製造することができるという作用効果を奏するものである。

(二)  原告は、第六引用例には、「プレス型表面に凹溝を穿設し、この凹溝内に可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を張り廻らして、プレス型内で形成し、次にこれをプレス成形で一体に形成してなる自動車タイヤの滑止具製造方法」が開示されている旨主張するので、まず、第六引用例に本件発明の「紐状芯材」、「凹溝」及び紐状芯材を「張り廻らす」という構成が記載されているかについて検討する。

紐状芯材については、《証拠省略》によれば、本件明細書の特許請求の範囲には、「可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材」(本件公報第一欄第一四行、第一五行)と記載され、発明の詳細な説明には、①「あらかじめ押し出し機等の適宜方法で合成ゴム等の被覆材を被覆せしめ、この被覆材付の芯材1a……をプレス型Aの前記凹溝aにジグザグ状に張り廻らして網目を形成する。」(同第二欄第三〇行ないし第三三行)、②「前記紐状芯材1a……は天然、人造繊維の種類を問わないが、好ましくはポリアミドポリエステル等の合成樹脂のロープ等の紐状のものであり図示するものは、直径三mm程度の編紐内にナイロン糸などの芯糸(直径一・五mm)を挿入して一体にした強靭なものを使用する。」(同第二欄第三六行ないし第三欄第四行)と記載されていることが認められる。一方、第六引用例には「予めワイヤー、ナイロン等よりなる補強材(6)を中心に埋設したゴムまたはゴム状弾性体(9)を設置する。」と記載されていることは、前記認定のとおりである。したがって、本件発明の「紐状芯材」と第六引用例記載のものの弾性体とは、ともに人造繊維等の紐状体にゴム等の弾性体を被覆せしめたもので、実質的に異なるところがない。

次に、凹溝については、本件明細書の特許請求の範囲には、「プレス型表面に(中略)凹溝を穿設し、この凹溝内に、可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を張り廻らして」(本件公報第一欄第一三行ないし第一五行)と記載され、発明の詳細な説明には、③「図中Aはプレス下型、A'はその上型を夫々示し、両型A、A'の合接面全長は略滑止具全長以上にし、その平滑上の上下合接面には斜交差状の網目形成用凹溝aa'を図示(第1図)するが如く穿設する。」(同第二欄第二二行ないし第二六行)、④「そして、図示するものは芯材として前記網目形成用凹溝a内に一本を組み込んだものを示したが、これを二本或いはそれ以上組み込むも任意であり」(第三欄第四行ないし第七行)と記載されていることが認められるから、本件発明の凹溝は、プレス型表面に設けたもので、その中に可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を一本あるいはそれ以上組み込んで(《証拠省略》によれば、この「組み込み」は「嵌入」と同意義(第三欄第一八行参照)と認められる。)、プレス成形で一体成形する機能を有する、断面が凹状の溝であって、それが斜交差状の網目形成用のもの、すなわち、型表面における形状が斜交差状の網目形状であるということができる。

一方、第六引用例の前記の記載によれば、第六引用例記載の発明のモールドは、そこに配置された板状突起(8)とモールド(7)の側壁との間及び板状突起(8)同志の間の空間にあらかじめ補強材(6)を中心に埋設したゴム又はゴム状弾性(9)を設置(この「設置」は「嵌入」と同意義と認められる。)して、プレス成形で一体成形する機能を有するものであって、該弾性体を設置する空間がプレス型表面に縦縞状に存在しており、該空間が凹状断面の溝を形成しているということができる。

そこで、本件発明の凹溝と第六引用例記載の発明の前記溝とを対比すると、両者ともにプレス型表面に設けた凹状断面を有する溝であって、その機能も可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材をその中に嵌入してプレス成形で一体に形成する点で軌を一にするものであって、両者の相違点は、溝の型表面における形状が、本件発明では斜交差状の網目形状であるのに対して、第六引用例記載の発明では縦縞形状である点だけであると認められる。したがって、第六引用例には、プレス型表面における形状は異なるものの、本件発明の凹溝が記載されているというべきである。

この点について、被告は、第六引用例記載の発明は、一枚のゴム又はゴム状弾性体に文字どおり切り込みを入れる発明にすぎないのであって、この切り込みを形成するためのモールドの板状突起は示されているものの、凹溝は示されていない旨主張する。

しかしながら、第六引用例記載の発明は、一枚のゴム又はゴム状弾性体に切り込みを入れる点だけを特徴とするものではなく、あらかじめ補強材を中心に埋設したゴム又はゴム状弾性体をモールド内に設置してタイヤ滑止具をプレス成形で一体成形する点をも特徴とするものであって、その板状突起は切り込みを形成するためだけのものではなく、前記弾性体をモールド内に配置して弾性体同志を部分的に結合せしめる機能をも有するものであるから、被告の右主張は理由がない。

また、紐状芯材を「張り廻らす」については、本件明細書の前記①及び④の記載によれば、本件発明の紐状芯材を「張り廻らす」ことは、プレス型表面に設けた凹溝内に可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を組み込む、すなわち嵌入することに他ならない。

一方、第六引用例の前記の記載によれば、第六引用例記載の発明においても、プレス型表面に設けた凹溝内に補強材を中心に埋設したゴム又はゴム状弾性体をモールド内に設置、すなわち、嵌入しているから、第六引用例には、本件発明の紐状芯材を「張り廻らす」ことが記載されているというべきである。

この点に関し、被告は、第六引用例の前記の記載を引用して、第六引用例記載の発明は、むしろ補強材を張り廻らせないでよい点を利点とするものである旨主張する。

なるほど、第六引用例には、斜交差状の網目形成用の凹溝は開示されていないが、凹溝内に補強材を中心に埋設したゴム又はゴム状弾性体を嵌入することが記載されており、本件発明における「張り廻らす」ことと嵌入することとは同意義であること前述のとおりであるから、被告の右主張は理由がない。

以上のとおり、第六引用例には、「プレス型表面に凹溝を穿設し、この凹溝内に、可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を張り廻らして、次にこれをプレス成形で一体に形成してなる自動車タイヤの滑止具製造方法」が開示されていることが明らかである。

(三)  次に、第二、第三及び第五引用例記載の技術内容について、検討する。

《証拠省略》によれば、第二引用例は、「自動車のタイヤに極めて簡単に取り付けることのできるようにしたスリップ防止用のタイヤチェーン」(二枚目第一一行ないし第一三行)の考案に関する実用新案登録出願の願書に添付された明細書及び図面のマイクロフィルムの写しであって、「ナイロン糸等の芯体(1)にゴム(2)等を被覆して直径一cm程の紐体(3)とし、これを組編して形成した網状体(4)は両端が開口するようにして筒状となっている」(三枚目第二行ないし第五行)と記載され、別紙図面三が図示されていることが認められる。

また、《証拠省略》によれば、第三引用例は、「自動車のタイヤ装着用スベリ止め材」(二枚目第三行)の考案に関する実用新案登録出願の願書に添付された明細書及び図面のマイクロフィルムの写しであって、「従来のスノーチェーンの欠点に着目し、この欠点を改良すべく鋭意研究を重ねた結果、騒音を発生することなく、また道路を損傷することなく、快適な乗心地を維持し、強度、耐摩耗性にすぐれた、自動車タイヤ用すべり止め材を開発」(三枚目第二〇行ないし四枚目第五行)、「編組された網目状または格子状の編組物に対して、ゴム類あるいは合成樹脂類を被覆することがすべり止め効果及び繊維糸束の耐摩耗性を高め、更に自動車の乗心地を快適なものとするうえで重要である。本考案において、ゴム類あるいは合成樹脂類は成型によって糸束に被覆したものでもよく、またコーティングしたものも使用できる。」(五枚目第一三行ないし第二〇行)と記載され、別紙図面四が図示されていることが認められる。

さらに、《証拠省略》によれば、第五引用例は、「タイヤ滑り止め具」(第一頁左下欄第三行)の発明に関する特許出願公開公報であって、「従来、積雪、氷結した路面を走行する場合、梯子型または亀甲型等に形成した金属チェーンを普通タイヤに装着する(中略)特に積雪、氷結していない舗装路を走行する際には路面を損傷し、騒音が激しく、乗心地が悪く、また金属チェーンが路面との摩擦で摩耗して切断され(中略)本発明はこのような点に鑑み、特に金属チェーンの欠点を解決したもの」(第一頁左下欄第一六行ないし右下欄第一四行)、「第2図は網状パターンを有するタイヤ滑り止め(8)を示す。(9)はタイヤ踏面上に位置する主体部で、ゴムまたはゴム状弾性体よりなる。」(第二頁左上欄第一二行ないし第一四行)、「(14)は主体部(9)に埋設された補強材」(同頁右上欄第二行、第三行)と記載され、別紙図面五が図示されていることが認められる。

以上の認定事実によれば、補強芯材を埋設した弾性体材料からなる網目形状のタイヤ滑止具、すなわち、本件発明によって製造されるタイヤ滑止具は本件出願前周知のものであり、この周知のタイヤ滑止具が、従来の金属チェーンからなるタイヤ滑止具の問題点である舗装路面の損傷、騒音、それ自体の摩耗、破壊等を解消したものであることも本件出願前当業者に広く知られていたということができる。

(四)  前記(一)ないし(三)認定の事実によれば、本件発明と第六引用例記載の発明とは、「プレス型表面に凹溝を穿設し、この凹溝内に、可塑性被覆材を被覆せしめた紐状芯材を張り廻らして、次にこれをプレス成形で一体に形成してなる自動車タイヤの滑止具製造方法」である点で一致し、凹溝のプレス型表面における形状が本件発明では斜交差状の網目形状であるのに対して、第六引用例記載の発明では縦縞形状である点のみが相違する。

ところで、両者の凹溝のプレス型表面における形状は、もともと製造しようとするタイヤ滑止具の形状に対応するものであるから、両者の前記相違点は、本件発明によって製造されるタイヤ滑止具の形状が斜交差状の網目形状であるのに対し、第六引用例記載の発明によって製造されるタイヤ滑止具の形状がタイヤの周方向に複数個のスリットを千鳥状に配置せしめた帯形状であることに起因する。

そして、本件出願前補強芯材を埋設した弾性体材料からなる網目形状のタイヤ滑止具は周知であり、この周知のタイヤ滑止具が従来の金属チェーンからなるタイヤ滑止具の問題点である、舗装路面の損傷、騒音、それ自体の摩耗、破壊等を解消したものであることも当業者に広く知られた技術的事項であったことは、前述のとおりである。

そうであれば、右周知のタイヤ滑止具が解決しようとする技術的課題は、第六引用例記載の発明が解決しようとする前記(一)認定の技術的課題と同一であり、両者はともにこの課題の解決のために同一の構成材料を採用しているものであるから、当業者において、第六引用例記載の発明に第二、第三及び第五引用例に示された右周知のタイヤ滑止具の製造方法を適用し、本件発明の構成とすることに格別の困難が存しないというべきである。

この点に関し、被告は、第六引用例記載の発明は、網目を形成しないことを特徴とする発明であり、これに製造方法について何らの示唆もない第二ないし第五引用例、第七及び第八引用例とを組み合わせても、本件発明を容易に推考できたとはいえない旨主張する。

しかしながら、第六引用例記載の発明は、網目を形成しない点だけを特徴とするものでなく、あらかじめ補強材を中心に埋設した弾性体を用いてプレス成形でタイヤ滑止具を一体成形する点をも特徴とするものであり、また、タイヤ滑止具の製造方法は、製造しようとするタイヤ滑止具の構成材料と密接に関連するものであるところ、第六引用例記載の発明によって製造されるタイヤ滑止具と前記周知のタイヤ滑止具とは同一の構成材料からなるものであるから、第六引用例記載の発明に右周知のタイヤ滑止具の製造方法を適用し、本件発明の構成とすることは当業者に容易に推考し得たことというべきであり、被告の右主張は採用できない。

(五)  次に、本件発明と第六引用例記載の発明の奏する作用効果について検討する。

本件明細書には、本件発明の奏する作用効果について、「従来の如くあらかじめ芯材を網目状に編む必要がないし、又網目が正確にできないため型に嵌め込み難いなどの欠陥をも除去し得る。加えてプレス成形で所定の形状に一度で成形できる。また、本発明によると手作業で被覆材を金型に充填する方法に較べて、機械化されるため被覆量が一定となり、且つ生産性が頗る良くなる。従って、従来方法に比べ、製造が極めて簡単であるし、その作業性が頗る良く低原価で製造できる。しかも品質一定の自動車タイヤの滑止具を提供し得る。」と記載されていることは、前記2認定のとおりである。

これに対し、前記3(一)認定の事実によれば、第六引用例には、作用効果について、「補強材は直線状にモールド内に配置するだけで良いので、製造が容易であり、安価に製造することができる。」とのみ記載されているが、第六引用例記載の発明も、本件発明と同じくあらかじめ芯材を網目状に編む必要がなく、網目が正確にできないため型に嵌め込み難いという欠陥がない、プレス成形で所定の形状に一度で成形できる、手作業で被覆材を金型に充填する方法に較べて、機械化されるため被覆量が一定となり、生産性がよい等の作用効果を奏することは、その製造方法に照らし、当業者に自明である。

そうすると、本件発明と第六引用例記載の発明とは、その奏する作用効果に差異がないから、本件発明の奏する作用効果をもって格別のものとすることはできない。

4  以上のとおりであるから、本件発明は、第六引用例記載の発明に第二、第三引用例及び第五引用例に記載された周知技術を適用することにより当業者が容易に推考できたものというべきであるのに、「本件発明は、甲第一号証ないし甲第八号証(本件公報及び第二ないし第八引用例)に記載の発明から当業者が容易に発明することができたものとすることはできない。本件発明は前記特定された製造法を採用することによって明細書に記載の優れた作用効果を有するものである。」とした審決の判断は誤りであり、その余の取消事由について検討するまでもなく、審決は違法として取消しを免れない。

三  よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の各規定を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 岩田嘉彦)

<以下省略>

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